蔵さんのネムな日々

概ねネムな状態でゲームする人のつぶやき的ブログ

私がハマったゲームたちですと?(*'ω'*)

来たね、ゲームお題。

「私がハマったゲームたち」ってことなんだけど…

 

こういうの、なんか前にも書いてる気がするけどさ。

わりと年がいってるんだヨね…だもんで古い話がいっぱいヨ( ̄ー ̄)

 

コンシューマ(家庭用ゲーム機)で最初にハマったのはFC(ファミコン)の

ドラゴンクエスト3かな。

当時はFCが自分のモノじゃなくてさ。

ソフトも借りてるんだけど、ノーセーブで砂漠の町までプレイしては終わるとか

そんな日々だった気がする。

ぶっちゃけ、後にちゃんとプレイもしてるんだけど、

何度もプレイしてるのはキャラクリするのが面白かったのヨね。

職業を変えるにあたって、元の状態の半分のステータスを引き継げるとかの

システムも面白かったなぁ。

遊び人から賢者にするのもやったしね。

 

その後、ゲームのことなんて良くわかってないくせにゲームセンターでバイトしたり

して、その頃ハマったのが2D格闘ゲームストリートファイターIIだったなぁ。

いや、IIは終わりの時期でII’が出る時で、ちょうどイイ時期だったんだなぁ。

当時、フリーター状態だったけど、専門学校に通うお金作ろうとしてたんだヨね。

で、日中バイトしてるんだけど夜にめっちゃ使っちゃう。

まあ、他のギャンブルとかに使うわけじゃないけど1プレイ100円で

一晩ン千円とかね。

対戦して対戦して対戦しまくったのヨ。

その後のカプコンさんの流れで2D格闘ゲームは長いことプレイしてたけどさ、

下手の横好きでねぇ。

中の下ってぐらいの腕でしかなかったなぁ。

でも当時のゲームではバンパイアハンターとかは初心者を意識してたと思うな。

バイト先で初心者の子とかもハマっていってたし。

その後、格闘ゲームについてはついていけなくなるって予想をしてたんだけど、

ホントに一部の人だけのゲームになってきてるなぁ。

いやね。

当時、ハマったって言ってるけど、波動拳一つまともに出せない時期があったのヨ。

それでも波動拳は出せる、でも昇竜拳はどうしても成立しないって時期が長くあって、

徹夜で特訓とかもしたなぁ…

いや、ゲームってさ、昔は2方向のレバーとかだったのヨ。その後4方向になって、

8方向(360度)になったのね。

その中で昇竜拳コマンドって「右→下→右下→パンチ」って画期的なものでさ、

右下がちゃんとできなかったのヨ。

でもこれ、コマンドの前提、コンボの前提がどんどん難しくなっていくだろうって

仲間内で予想しててさ、現実に今ではできる人とできない人になってて、

もう2D格闘ってゲームの1ジャンルでしかないヨね。

いやね。当時はこのゲームがメインとして店舗内の大きなスペースを占めてたのヨ。

スト2とバーチャ(バーチャファイター)が起爆剤になってゲームがこれほどの

業界になったのヨね。

 

その後、社会人になってもアーケードゲーム自体はプレイしてたんだけど、

時間を割けなくなった頃から家庭用機メインになっていったなぁ。

いやね。

ゲームセンターの類は風営法とかもあって営業時間決まってたの。

今は何時か知らないけど、当時は営業時間は10時~24時だったかな。

18時からは年齢制限あったし。

で社会人になるとさ、普通に残業とかあるわけ、怖い上司に残業命じられて

22時までとかザラでさ。そんな中でもゲームセンターに通ってたんだけど、

まあ、1時間ぐらいじゃどうにもならないじゃん。

いや、出先で入っても帰りの電車考えて1時間だし、地元でも電車で帰ってからじゃ

1時間ぐらいしかなかったのヨ。

当時はDC(ドリームキャスト)ってSEGAさんのゲーム機がまだ頑張ってて、

アーケードと連動とかもしてたなぁ。

マーブルvs.カプコン2とかではキャラが大量に居たんだけど、そのキャラ解放を

連動させてたんじゃなかったかな。

当時は頑張ってたSEGAさんだけどさ、

結局ゲーム業界のハードからは撤退するんだヨね。

その前のセガサターンも性能重視って感じだったけどPS(プレイステーション)系の

カジュアルな感じに負けてったのかなぁ。

あ、当時確か、PSのゲームとアーケードのゲームで同じとかってのはあったな。

流行らなかったけど。

でも当時はDCの方が良かった。

特に2D格闘ゲームとかプレイする人にとっては。

で、カプコンさんのストリートファイターZERO3ってので、段位認定戦ってのが

あってさ。これにハマったんだヨね。

当時は存在した公式掲示板なんかもいっぱい利用してたけど…

このゲームはさ。当時まだDCがブロードバンド対応してなくって、

直接のネット対戦はできなかったんだヨね。

当時のゲームとしてはカプコンとかが入ってたマルチマッチングのヤツじゃないと

できなかったと思う。マッチングの部分だけ専用になってるのが、

マブカプ2とかでは採用されてたんだけど、ZERO3はまだだったのヨ。

だけど、当時カプコンさんは考えたわけ。それでもネット対応を謳いたいと。

で、段位認定戦ってのが始まったのヨ。

これね、ワールドツアーモードってのがあって、そこで選んだキャラで世界中を

旅しつつキャラを強化して、その強化したキャラを使って段位戦に挑むって代物。

ワールドツアーはコース選択の自由はあったけど、強化はランダム要素もあったり

スキル設定もあったりして、キャラをできるだけ強く作るのが楽しかったのヨ。

そして、オフラインでは挑戦できるのは3段までで、あとは段位認定戦がネット配信

されてたのね。

徐々に配信されて、早解きになったりしたなぁ。

で、当時は保存できる情報って少なかったのヨ。

家庭用ゲーム機ってPS2のハードディスク(後のBBユニット)まではメモリーカード

保存するしかなかったのね。で、段位戦はメモカ1つに1戦だけ保存できてね。

普通の人は1つでやりくりしたんだと思うけど、蔵は27個とか買いました。

いやね。今でもそういうとこあるんだけど、いずれサービス終わったら楽しめなくなる

って思ったわけ。まあ、サービス終わるころには興味もなくなるもんなんだけど、

当時はそう思ってなくってさ、いっぱい買ったのヨ。

楽しかった。でも、この大量のメモカが次のドハマりゲームにつながるのヨね。

 

次にドハマりしたゲーム。それはPSO(ファンタシースターオンライン)ね。

PSOはSEGAさんのファンタシースターってPRGシリーズの1作品だった

んだけど、ソニックチームの開発でオンライン要素があったのヨ。

もともとはファンタシースターはやってなかったんだけど、それこそZERO3の

友人に誘われて始めたんだヨね。

PSOは家庭用機でネットゲーム対応した黎明期の作品だったんだけど、

ストーリーはそんなになくて、緩いアクションRPGだったのね。

でもキャラクリがあった。当時画期的だったモーフィングでの調整でね、

DCのメモカ1つに1キャラ保存できたのヨ。

そう。当時はまだ黎明期。サーバで管理しないと改造データでプレイする人が出るとか

全然対策も無かった時代。そもそも、オンライン要素もメーカーはおまけのつもり

だったのかな。

でも、自分で作ったキャラでストーリーをプレイできて、サーバにつないで他の人と

冒険をできたわけ。これはハマったなぁ。

キャラもいっぱい作ってみたしね。

このころにはもうキャラクリが好きになってたんだと思う。

今でも何かのゲームをプレイするにあたって、出来合いのキャラよりキャラク

した場合の方がやる気あるもんね。

PSO出た当時はまだネットも電話回線だったヨ。

で、これの人気が出た頃に電話会社がテレホーダイってサービスを始めたわけ。

深夜11時を過ぎると定額で接続できちゃうサービス。

これで夜通しプレイしたなぁ。

あとね、PSOでキャンペーンクエストもあったADSLの夜明けってのがあってさ。

DCがブロードバンド対応されたのもこのゲームあってのことだったと思う。

PSOはその後、Ver2.0になったり、EP2、EP3が出たりした後、

PCでBB(ブルーバースト)ってのがサービス開始したんだヨね。

これもプレイしてた。もう完全にサーバ側での管理になってたけど3キャラまでは

作成できるんだったかな。悪い思い出もあるけど、いい思い出もいっぱいだった。

その後、ネトゲとしてはFFXIなんかもプレイしてるんだけど…

 

蔵個人はやっぱりPSO系かな。

その後、PSU(ファンタシースターユニバース)ってのがPS2でサービス開始

したんだヨね。

飛びついたなぁ。

そして伝説のロールバックを食らったり、オンラインサービスが中止になってて、

それで始めてオフラインモードをプレイしたりね。

このゲームはPSOの人気の理由とかをSEGAが全く理解できてなかったために

初動で大コケしたのヨ。

SEGAさんはオフラインで勝手にヒーローを作って専用のモードにしちゃった。

でも、その延長のおまけのつもりでオンラインを用意しちゃった。

だからコケタのね。

みんな一斉にオンラインモードにつないだから。

いやね。PSOってさ、高級チャットツールとまで言われた代物なのヨ。

マイキャラは自分のアバターだったし、そのキャラがチャットを吹き出しでしゃべる

なんて楽しすぎてさ、夜通しチャットだけで過ごしたりもいっぱいしたヨ。

そんなゲームの後継に求められてるのは同じような友達とプレイすることなわけでさ、

それを理解してなかったのヨね。

まあ、PS2の薄型対応にしたためにメモカでしかアプデできない問題で制限あった

PS2版を切り捨てて最終的にはXBOX版(当時は360かな。初期XBOXでも

PSOはあって、ボイスチャット対応だったと思う)とのみになったんだったかな。

この頃には一応PC版に手を出してて、最後はPCで迎えた気がする。

今時のゲームって課金制でさ、ゲーム内でアイテムゲットするのにお金使うとか

多いけど、当時はまだ定額でサービス受けるのが普通だったのヨ。

このPSUの時期、PSP版が出て、そっちでアイテムのDLCでお金払わせる感じが

出てきてたのを覚えてる。

PCのPSUも末期には武器強化をお金で解決するようになってたし。

(PSOでは武器強化にリスクはなかったけどPSUは武器全損のリスクがあった)

 

そして、10年前になるのだけど、満を持してPSO2が出たのヨ。

もうαテストから飛びついたなぁ。

当初はPCのみでテストだったっけ?

当時はゲームもPCでやってたのヨね。

ノートではあったけどそこそこの性能だったし。

でも当時、結構序盤がきつくってね。

実はネトゲの世界でプレイするうえで結構嫌な思いをしてたんで、

この頃にはもうソロプレイヤーになってた。

ソロではサブクラスもまともに付けられないしレベル上限突破もできなくて

結局早い段階でやめちゃったんだヨね。

それが後々、PS4でサービスインしたのヨ。さらにPSVitaでもプレイできた。

これはねぇ、すごいことだったと思うな。

あのレベルのゲームを携帯ゲーム機でオンラインでプレイできたとかね。

まあ、結局後にサービス終了しちゃうんだけど。

PSO2って去年NGSって銘打ってリニューアルして、

オープンフィールドになってさ、要求性能も激増したんだけどね。

でも実はその前からゲームアプリの大きさが異常って言われてたのヨ。

内部の問題でデータが整理できてなくて同じものが大量にあったりしたらしいけどね。

 

今、NGSのプレイをSS含めて記事を書くことが多いんだけど、

これもいつまでできるかなって感じではある。

ドハマりしたし、キャラクリが好きと自覚してからはゲームの内容二の次で

NGSをプレイしているけどさ、ホントのところPSO3を望んでるのヨ。

あ、ハマってたゲームじゃなくて将来ハマりたいゲームの話になってきてる?

 

蔵の記事ではほかにもバイオハザードとかハマってたってわかるんだけど、

今回は人生を変えたかもって思えるゲームの流れで書いてみましたヨ。

 

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